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内股の夢 -080429_全日本柔道選手権大会- - Hero's Eye - 格信犯ウェブ

Weekly Column

Hero's Eye

内股の夢 -080429_全日本柔道選手権大会-

Hero
2008.05.06
4月29日、同日開催となったDREAM.2@さいたまS.A.観戦前に全日本柔道選手権大会の現地取材を敢行し、自身のブログにてリアルタイム速報をアップしていたHero(ヒーロー)さん。DREAM.2の観戦を遅らせてでも、目に焼き付けたかったその大会のコラムを掲載いたします。
marc_nas
そのとき彼は、動けなかった。いや、動かなかったのだろう。

 4月29日、日本武道館。全日本柔道選手権大会。
 柔道男子100kg超級五輪代表というたった一つの切符を賭けた戦いが繰り広げられた。

 異様な雰囲気に包まれている中で開会式が始まる。推薦出場である前回優勝の鈴木、準優勝の石井、そして、棟田、高井が入場。それぞれが大きな拍手と声援を受けての入場する。ケガを克服した石井が結果を出すのか、国際大会で実績のある棟田が念願の五輪を決めるのか、わずかな望みを残す高井が希望をつなげるのか。それとも・・・。

 そして次の選手名が告げられたとき、誰よりも大きな声援が武道館いっぱいに沸きあがった。
 井上康生。
 武道館に集まった人間は全員理解している。彼が優勝を逃せば、それはすなわち引退につながることを。

 井上の初戦は二回戦から。相手はもちろん、伝家の宝刀である『内股』を警戒してくる。ただこれまでは、どんなに「来る、来る」と分かっていても、世界中の猛者達が彼の『内股』にひれ伏してきたのだが・・・。

 試合を決めたのは『内股』ではなく、出足払いだった。有効を奪っての優勢勝ち。何度も『内股』は仕掛けた。しかし・・・。明らかに実力の劣る初戦の相手にも、『内股』は決まらなかった。

 三回戦。
 やはり、彼は『内股』を繰り出す。しかし、決められない。以前であれば、面白いように相手の体を空中で回転させていた必殺技。今はもう、相手の体を浮かすこともままならない。それでも彼は『内股』を仕掛け続けた。

 一本!!
 決まり手は『内股』!? いや、隅落としだった。内股の体勢から大内狩り気味に懐へ入り、相手の背中を畳へ落とす技だ。こうして準々決勝進出を決めた。

 井上以外の強豪も、順当にベスト8へコマを進めてきていた。

 そして、準々決勝。午前11時から始まった大会だが、時計はすでに16時を指していた。

 井上の準々決勝の対戦相手は、彼と同じく五輪出場へ一縷の望みを残す高井洋平。30kg以上の体重差がある相手である。試合が始まると、両者とも一進一退の攻防を見せる。井上は自分が信じた技『内股』にすべてを賭けていた。五輪出場へは勝つしかない高井も、積極的に前へ出続けた。

 両者譲らず、試合終了まで残り10秒。
 旗判定になれば井上が若干有利かと思われたが、彼はそれでも技を仕掛けた。井上がこれまで信じ続けた技、『内股』を。残り10秒を乗り切るのではなく、多くの栄光や挫折を共に味わい続けた『内股』で、高井を仕留めることを彼は選択したのだった。

 大歓声?いや、悲鳴が武道館を包む。

 畳の上では、自分よりも30キロ以上重い高井に押さえ込まれている井上がいた・・・。試合終了の6分が過ぎても、押さえ込みの時間は無情にも過ぎていく。

 彼は、動けなかった。いや、動かなかったのだろう。

 最後まで信じ続けた『内股』が返された。
 高井の肩越しに見える天井の日の丸を見つめながら、すべてが終わっていくことを感じていたのだろう。押さえ込みから25秒経過を告げるブザーが鳴り響いた。

 井上康生、合わせ技一本負け。


 深く長い礼から頭を上げた時、彼の顔は笑っているように見えた。武道館の三階席からもわかるほど、なんともすがすがしい笑顔だった。こうして最後の挑戦を終えた彼は、畳を降りた。


 振り返ってみれば、彼ほど愛された柔道家がいただろうか。彼の持つ人柄の良さ、礼儀正しい身の振舞い、言葉遣い、ひたむきさ。ただ強いだけの男ではなかった。

 栄光も挫折も両方を味わった。家族の不幸も重なった。それでも挑み続ける姿に勇気をもらった人々も多いはずだ。私もその一人である。

 今後は指導者を目指すとのことだ。イギリスへのコーチ留学も視野に入れているらしい。それならば彼が育てる選手に、夢を見ずにはいられない。伝家の宝刀、『内股』の夢を。
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