昨年、2008年10月タイで「死亡遊戯のテーマ」が流れた。
それは辰吉丈`一郎にとって5年ぶりの復活を意味する曲だった。
強制引退に該当する37歳を跨ぎ、特例措置とされた5年以内の再起戦の夢も絶たれ、JBC発給のライセンスを失効させ、上がれるリングを求めて辿り着いたタイ。
「ボクシングがしたい」と周囲の引退勧告にも耳を貸さず自分の意志を貫き執念で掴んだ試合だったが、5年もの試合ブランクと年齢による肉体の衰えは顕著であり、過去、リアルタイムで辰吉丈`一郎の軌跡を見守ってきた1人のファンとして絶え難き現実だった。
所属ジムや関係者、JBCが何も意地悪で辰吉の路を絶った訳じゃないと現役続行を望んだ本人の試合で遅ればせながら悟る。
グットシェイプとはとても言い難い張りも艶も損なわれた肉体、辰吉の象徴であった神がかり的なウェービングとスウェーは陰り、多くのブローを被弾して何度も動きが止まる。
試合の組み立もブランクで鈍化していたのに、衰退をカバーすべく老獪なテクニックで対抗する訳でもなく、ただ、今まで通り”辰吉らしい”真っ向勝負のシバキ合い。
勝利はしたが辰吉本人も内容に納得できずに笑みは無く、遠いタイランドまで応援に駆けつけた後援会とファンの辰吉コールだけがあの頃のまま場内に木霊していた。
本当にこれでいいのか?後、数試合を重ねれば感覚を取り戻せるのか?
そんな疑念が脳裏を過ぎる。
周囲が抱えた苦悩や葛藤、本人の意地と競技の安全維持、周囲は正しい見識で対応し、本人は己に正直な答えを出した。だから、双方間違いはないのである。
辰吉丈`一郎という男にとって、引退して緩やかな余生など”生きながらにして死”その先は”破滅”だと聞かされても、そこに光が射す可能性が”0”でない限り、目指し続けるという信念により、リング上で絶命しても本望である。
”我の魂、生涯不変、成り”と周囲に抗い自分には抗えず宣言した。
これでいいんだろうか?ファンとして見守るしか術のない僕は復帰戦の映像を見て複雑な涙が込み上げてきた。
立場が置き換わり親友、親族ならば諸手でこの路を後押しできただろうか?と自問する。
試合後、辰吉が控え室へと戻った映像に懐かしい顔が出てくる。かつて辰吉を完膚なきまでに叩きのめした最強の王者ウィラポンが激励に訪れていた。当時、最強ボクサーと信じて已まなかった辰吉の玉砕ぶりに「日本人は誰もウィラポンに勝てない」と諦めた。
しかし、辰吉が休んでいる間に長谷川穂積がウィラポンから王座を奪取してから、皮肉にも辰吉の復帰戦が行われたつい10日前に7度目の防衛を果たしたばかり。
果して長谷川まで辿り着けるという一縷の望みが叶う隙間があるのだろうか?
もう、心から応援していた僕も分からなくなった。
タイでのランキング1位となった辰吉丈`一郎はこの3月8日に復帰第二戦となる正念場を迎える。
ボクシングを愛した男の今度の相手は生半な選手ではない。
期待はするが、こんなに切なく身に抓まされる思いで待つ試合は無い。
”あしたのジョー”の様に燃え尽きないでくれと無事を祈るのみ。
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闘議(とうぎ)3.8 暮春 -辰吉丈`一郎- |
u-spirit 2009.03.02 |
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