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闘議(とうぎ)正しい愛情 |
u-spirit 2009.10.07 |
亀田大毅、試合の組み立てが出来ず攻撃も単調過ぎた。
局面を打開する為の策がない。序盤こそ鋭いジャブからリズムにのったコンビネーションによる攻撃をしていたが、中盤以降になると昔の亀田スタイルに戻ってしまう。VTRを見ているかの如く、ラウンド毎に変化はなく、大振りフックと単発ストレートだけの攻撃は王者に先を読まれ次第に掌握されていき、挙句に疲れだした王者に上手くクリンチで潰される。
これまでロートル選手としか手を合わせてない大毅の経験不足が露呈した試合だった。更にあの「厳重注意」が大毅にとってマイナスに作用し強引さが求められる局面でも正攻法で戦ってしまった。
でも、亀田スタイルらしい良いところもあった。
あれだけ王者の強烈なボディーブローを受けても倒れない屈強な肉体とスタミナ、そして精神力は素晴らしかった。反則行為による出場停止で虚勢されてしまった「やんちゃ」を今後は強(したた)かさに変えて備える必要がある。
それには場数を踏むしかない。
今、持ち合わせる強打とスタミナに「巧さ」を身に付ければ大抵のボクサーは太刀打ちできない。想定される全てのタイプと対戦してから再挑戦しても時間は充分にある。出場停止明けの試合後に大毅自身が発言していた様に日本、東洋太平洋王座を奪取を目指し歩めば頂点はそう遠くないと思える。
で、亀田父、少し弁えよ。色んな事を経験し人間としてもボクサーとしても強く大きく成長した息子達が浮かばれない。無期限ライセンス停止処分中にも拘らず、スパーリングしたり、周囲の注意も聞かずセコンドに詰め寄ったり、試合後、素直に敗北を認めた大毅の気持ちも察せずに判定を批判したり、その傍若無人ぶりは稚拙で哀れなり。
人一倍、子を思う気持ちが強いのは分かるが、それでは誰も認めてくれない。
省みた時、人は成長する。
敗戦を糧に悔しさをバネに大きく成長した息子の隣で「過ち」を認めず「非」を自覚できない父親がこれ以上、何を説くと言うのか。息子を勝たせたいのではなく、自分が勝ちたいだけ。
とにかく日本のマスコミ、特にTBSはスポーツでの親子鷹美談が好きである。しかし、親が過剰に介入するのは、子の成長と人格形成を阻害する。
ボクシング経験もない天下茶屋のゴンタが息子を独自理論の実験台にするのは、もう、「親のエゴ」でしかない。そんな亀田父の姿に辰吉丈'一郎の父上で亡くなられた辰吉粂二さんの言葉を思い出す。
「試合をしているのは息子じゃ。ワシが行くことはない。」
勇気を持って闘いに挑んでいるのは息子。
息子だからと親の自分が口出す事はもう何もない。
粂二さんは何度招待されても息子 丈'一郎の試合を会場で観戦する事はなかった。
でも、他の誰よりも息子を強く見守り支えていた。
それが親から子への正しい愛情であり、温かさだと思う。
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