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必衰 -吉田秀彦引退興行:ASTRA-

u-spirit
2010.04.27
願はくは 花の下にて 春死なむ(西行法師)

 兎角、日本人は古来より死に際や散り際に「美学」を求める。必衰の理というか、諸行無常というか、その美徳は現代人のDNAにも刻まれており、去り際や引き際といった辞意を決断すべき時に個人も周囲も「美学」を求めてしまう。

 そして、それは”プロ”とつく競技者なら尚更。特に武道家、格闘技選手の多くは去り際に拘る。本当は人の終焉に正しい形など在ろう筈もないし、まして周囲が求めるものでもない。更に言えば、武道家なれば最後に花道など不要。武道の道の最後は”最期”であって然るべきだと。

 吉田秀彦という総合格闘家がいた事は多くのファンは忘れないだろう。けど、個人的には総合格闘技での彼の功績を素直に称える気分にはなれない。
 五輪柔道金メダリストの看板を引っ提げて総合のリングに乗り込んできて、尚、彼は柔道家であり続けた。

 彼が柔道家であると言い続けた拘り、誇り、魂まで否定するつもりはないが、その後も次々に柔道界からの「飛び級」を招聘し続け、実力が不明瞭で準備不足の後輩たちを優遇しリングに上げる一端を担っていたのは確かだと思う。
 なのに、引退後は柔道界に恩返ししたいと言う。まるで巨人から移籍し別の球団で現役引退を迎えたのに”元巨人”ぶる選手の様だ。

 そりゃないよ・・・。
 温かく第二の活躍の場を提供してくれた人たちがいるだろ。一番に総合格闘技界への恩返しを考慮すべきではないのか?
そう、思ってしまう。だから、最期の仕合も一番弟子相手に御座なりな試合となったんだ。113kgという体重で最期を迎えるに相応しい練習をしていたとは到底、思えない。こんな感じ、いつの頃だろう。吉田秀彦の試合に「覚悟」が見えなくなったのは。

 吉田秀彦はとっくに引退したかったのかもしれない。
 けれど、周囲や後身たちの為に泣く泣く現役を続行していた様な気がしてならない。それは、道場主や親分としては正解であろう。けれど、プロとして、武道家としてはどうなんだろう。そんな親分肌、兄貴肌が道場門下生たちの危機感や自立心を阻害し、いつまでも吉田秀彦の傘から抜けられぬ”井の蛙集団”になってしまったのではなかろうか。

 ただ、僕が吉田秀彦を唯一、認めていたのは、人前で泣かなかったこと。どんな状況であっても、人前ではどの種の涙もけして見せなかった。引退式典でご両親が来られたとき彼は初めて僅かな涙を見せた。それでも、言いたい言葉はありがとうではない。

 僕は吉田秀彦の生き様と死に様を見届けたかった。彼は群れる事でいつしか牙が削がれた気がしてならない。引退試合の相手であった中村をはじめ彼には多くの後輩と仲間がいる。それは、格闘家 吉田秀彦のためになっていたのか疑問である。

 PRIDE GP 2003の準決勝のヴァンダレイ・シウバ戦、あの日、僕は一筋の光明を見た。「吉田秀彦なら勝てるのかも」正直にそう思えた。ただ、後の吉田秀彦の仕合では二度と同じ光を見つけることはできなかった。

 同じこの4月にひっそりと引退した坂口征夫の生き様には胸が熱くなる程、彼の貫いた潔さを感じ取れ共感できた。

武の道は孤の道、敵は我の中にあり、故に我、自ら完結す

 武道家、格闘家とは孤独であるべきなのかもしれない。

 吉田秀彦の引退式典に出席し握手を交わした田村潔司、その姿に田村潔司自身も最期のかたちを既に考えているんだと悟る。追いかけていた光が消える瞬間、何を思い、何を考えどんな感情になるのだろう。去りし日々が長かった事に今更ながら気付いた。
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