Warning: reset() expects parameter 1 to be array, null given in /home/users/0/lolipop.jp-dp19151043/web/column/detail.php on line 57

Warning: Variable passed to each() is not an array or object in /home/users/0/lolipop.jp-dp19151043/web/column/detail.php on line 58
他競技から得た秋山事件の答え ~071231_やれんのか!~ - 闘議(とうぎ) - 格信犯ウェブ

Weekly Column

Home > Column | Weekly Column > 闘議(とうぎ)

闘議(とうぎ)

他競技から得た秋山事件の答え ~071231_やれんのか!~

u-spirit
2008.02.05
365日間、格闘技ファンの胸に突き刺ってきた痞(つか)え。

今の世の中、権力者に都合良く、何事も有耶無耶にされ、理不尽がまかり通り、みんなが利己主義に”利得”しか追求しない。多くの人は、これを”矛盾”と受け入れ、半ば諦めて生きている。僕自身も、その中の一人。

しかし、こと競技やスポーツと呼ばれる類において、特に裸身で闘う”格闘技”のリングだけは、他のチカラの及ぶ事のない聖域だと信じてきた。その聖域で戦う武人は我々の理想像であり、指針だと思ってきた。しかし一昨年末、「勝つ事が全て」と己の持ち合わせたスキルを誇示せず、故意にルールを逸脱し、姑息な手段を用いた挙句、クレームを付け、桜庭を非難してまで、言い逃れをした秋山。処分は下されたものの、釈然としないまま嫌な気持ちだけが、武人への憧れを抱いていたファンの心根に深く蔓延った。やっぱり、どの世界も…と。だが、一人の男が秋山事件という痞えにピリオドを打ってくれた。
三崎和雄よ、ありがとう。
雄叫びを上げ、声が枯れ、見ず知らずの隣の人と抱き合って、喜びを分かち合いながら、泣いた。

そして、試合後の三崎は
「お前は去年、沢山の人と子供たちを裏切った。オレは絶対に許さない。でも、今日試合をして、お前の気持ちがオレにも届いた。だから、これからはリングの上で沢山の人たちと子供たちに、誠意を見せて闘ってほしい」
と秋山の目を見ながら語った。


この一年、この事件の本質を考えていた。そして、他競技を見ている時に、あるヒントに辿り着いた。
本来、「競技者としてスポーツマンシップに則るのは当然だ」と日本人の誰もが思うのだが、冷静に世界を見渡せば、多くの国や民族が”勝利至上主義”であり、強(したた)かに勝負に挑んでくる。「正々堂々と潔く」を重んじる”武道精神”を貫いているのは、我々、日本だけだ。
例えば世界のサッカーで多用される「ずる賢さ」などが最たるもので、記憶に新しい野球の北京オリンピック・アジア最終予選でも、韓国は直前になってスターティングメンバーを7名も入れ替え、事前の紳士協定を無視して、「ルール規定内だ」と主張していた。柔道の世界選手権でも、国際ルール規定に基づき”後付けの技”を有効と見なされたり、我々から見れば卑怯と映る行為も、お国が違えば許容範囲とされるのが現実だ。このギャップが今回の騒動をここまで増幅させた要因なのかもしれない。


強(したた)かな相手にどう、対抗すれば良いのか?答えはひとつ。
揺るぎない強さを備えればいい。今回の三崎和雄や野球の星野JAPANが体現したように”強かさ”には”力強さ”で対抗するしかない。それが、唯一の方法。やはり、日本人として”強い者は正しくあれ!”とまでは言わないが、本物なら姑息に欺く事無かれ。と言いたい。そして、格闘技においては、”武道精神”を絶対に失って欲くない。

諸外国に”平和ボケのお人好し日本人”と嘲笑われて、迎合し同じ戦法で”強かに”走った時点で、古からの教え、日本人としての”誇り”や”魂”を捨てる事を意味する。”武道精神”は”大和魂”であり、世界に誇れる我々のアイデンティティそのものなのだから。正々堂々と勇敢に闘った武人には、勝敗に関係なく、心から敬意を示す。今回の試合後に秋山に対しても声援と拍手が起こった事実が、日本人の心意気を表している。

観戦していた秋山の親友の清原和博が会場のブーイングや、三崎の秋山に対する意見にムカついたと発言したらしいが、三崎の所属するGRABAKAの選手たちは、数年前ジムもなく駒沢公園で体育用のマットを敷いて練習をしていた。そんな環境下でも直向に総合格闘技の明日を夢見て、努力して今日がある。競技にかける想いの長けが彼らにはある。
それを秋山の友人だからと野球人の清原が、同じ土俵に上がりもしないで、三崎の顔を蹴り上げたいと発言するのは、おかしな話だ。それに、当人の秋山は最初から最後まで”潔く”武人として振舞っていた。あの会場にいた多くの人が、その勇姿を見届け、心打たれ、認めた。秋山に異議を唱える者はもう、居ないだろう。3万人近い観衆に罵声を浴びせられ、孤立無縁の状態で闘いに挑める”強さ”は僕にはない。

あの日の秋山は確かに強かった。これ以上、我々の中で生まれ変わった秋山を辱めないで欲しい。清原よ、余計な心配は無用だ。今の秋山なら、やれんだよ!!
[Track Back URL] [Column No.97]