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御大、逝く - 闘議(とうぎ) - 格信犯ウェブ

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闘議(とうぎ)

御大、逝く

u-spirit
2008.02.14
百瀬博教(ももせひろみち) 享年67歳

呆気のない程の御仁の幕切れ。

常にPRIDEの会場で猪木や藤原ヒロシらと同席し、「FOREVER YOUNG AT HEART」と刺繍された印象深い帽子とサングラス姿で、時にはプロデューサーとして、時には勝利者賞のプレゼンターとして、目立っていた御仁。しかし、いつの間にかPRIDE会場でも見かけなくなり、未だに『一体、誰だ?』と思っている人も多いだろう。

御仁は、PRIDE発足にあたり数千万円を出資した人であの週刊現代で取り上げられた”PRIDEの黒い噂”。事の発端は百瀬御仁が主催する”鳥越祭を愉しむ会”の写真であると聞いた。ところが実際は記事が掲載される3年前の2003年に民放各局間で熾烈を極めた大晦日格闘技興行争いの件で、興行界で顔の利く御仁がPRIDEから身を引いた為に、御仁の影響下でなくなったDSEは、悪しき団体への抑制が効かなくなり、興行収入に群がる圧力に屈していく事となった。あまり詳しく書けないが、確かに任侠の家庭に生まれ、生涯アウトローだった御仁もダークサイドな部分を含んではいたが、とても正しい事を言っていた。

2002年8月15日。PRIDE GP 2004 ヘビー級決勝戦。前年、王座を奪われたヒョードルへのリベンジを胸に、這い上がって来たノゲイラが、ヒョードルのパウンドを回避している時、偶発したバッティングにより、試合続行不可能とジャッジが下り、ノーコンテストとなった。それを御仁は自身のサイトで『ノゲイラの背中』と題し、こう書いた。

百瀬博教オフィシャルサイトより引用

ー思いもよらない結末に失望した。
ー誇りを賭けた真剣勝負(ガチンコ)の舞台で無効試合(ノーコンテスト)とは一体どういうことなのか。
ーまったく納得がいかなかった。
ー高い金を払って遠い会場へやってきた観客はルールを見に来ているわけじゃない。
ー誰が一番強いかを見に来ている。
ー誰がなんと言おうがこの大会の優勝者はノゲイラで
ー賞金2000万は故郷の町へ持って帰らすべきだった。

覆った状況は違えど、昨年の三崎vs秋山の試合にも同じ事は言える。これ以外にも、御仁は特に世の若者、次世代に対して心にしみるメッセージや名言を数多く残している。詳しくは、浅草キッドのHP内にある2003年に文化放送でオンエアされた『百瀬博教の柳橋キッド 第16回』のテキスト化された内容を読んで頂きたい。絶対に何か心に刺さるはず。昭和の豪傑、導(しるべ)と慕いし大先輩が、また一人。

心からご冥福をお祈りいたします。


参考リンク:『百瀬博教の柳橋キッド 第16回』
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