総合格闘技向上委員会ver.20.0 初めて観た亀田興毅 ~060802_亀田×ランダエタ~ |
marc_nas 2006.08.03 |
私は今日初めて、亀田興毅選手の試合をテレビで観戦しました。今まで弟:大毅選手も含め、一度も観たことがなかったのです。もちろん、紙面やネット、ワイドショウなどでは何度も目にしていますが、我々のサイトでは一度も取り上げたことはありませんでした。試合前、試合後になどによく行うパフォーマンスはいつも興味深く観ていましたが、試合を観ようと思ったことは一度もなかったのです。理由は、端的に言うと"試合を観たいと思うほど興味をそそられなかった"というところでしょうか。ただ、世界タイトル戦ともなれば観なければと思い、この度、重い腰を上げたのです。
グレイシー・トレインを思わせる家族並んでの入場シーン。TBSのお家芸とも言える(HERO'S、K-1MAXなどでも同様)アナウンサーの家族愛を強調する前フリ。興毅選手たっての希望であるというT-BOLANの人の国歌斉唱。対戦相手へのメンチ切り。どれもなんだか安いドラマを観ているようで、滑稽で稚拙。サムライ
TVの「キックの星」という番組の中で我龍真吾選手一家が見せる家族愛、ヤンキー魂とはまるで別物だった。
そして、試合は始まり、1R終了間際に興毅選手がKOされた直後、ビックリするようなシーンが。おぼつかない足取りで、うつろな表情のままセコンドに戻る興毅選手。その興毅選手に対して、いつも喝なのかビンタを張る父:史郎氏。テンプルが揺れて間もない選手の頬を張るなんて、トレーナーとしては信じがたい行為だった。これもまたテレビを意識した父のパフォーマンスなのだろうか、そうだとしてもとても出来の良いトレーナーだとは思えない。
その後の展開はご存じの通り、疑惑の判定となった。ホーム・アドヴァンテージというか、ホームタウン・ディシジョンというか、かなり微妙な判定だったが、この点については目を瞑りたい。他国開催であれば、間違いなく歓喜と落胆の表情は逆だっただろう。
最後に私の言いたいことは二つ。
一つは「屈折した光 ~041014_武士道5~」のリスペクトの項でも述べたが、相手へのリスペクトの心を持てと。プロである限り、試合前のパフォーマンスで観客の観戦欲・ワクワク感を煽ることは然るべきこと。ただ、減量に苦しむ相手の前で骨付き肉をむさぼり食うのはいかがなものかと。また、毎度のように"試合後"に相手陣営につっかかる父の姿。それらには、不快感を憶えた人も少なくないはず。スポーツマンシップとリスペクトに欠けている気がしてならない。
それともう一つは、更なる高みを目指すなら親離れをすべきと。よく目にする父が考案した独自の練習法と独自の減量法。更に、常に「前や!気合いや!」とのスポ根漫画のごときセコンドの声。協栄ジムに移籍したことで、父との離別が見られるだろうかと思っていたが、やはり変わることはなかった。彼ら兄弟の天賦の才能は日本ボクシング界の宝である。それは曲がりなりにも世界王者まで上り詰めたのだから、誰もが認めざるをえない事実。更なる高みを目指すなら、科学的トレーニングと的確なセコンドのアドバイスが必要だと思う。
最後に、TBSへ。恐らく試合後、この判定が様々な論争を呼ぶことだろう。ひょっとすると、ヒートアップしすぎた亀田人気が一気にクールダウンするかも知れない。だが、ドル箱スターへと育て上げ、客寄せパンダとなってしまった稀有の才能を、これからも切り捨てることなく、正当に評価し、どんなことが起ころうとも最後まで面倒を見てあげて欲しい。そう切に願う。
Hero's Eye |
Hero 2006.05.17 |
Men's Judge |
MJ 2006.05.16 |
Hero's Eye祭りのあと ~PRIDE 男祭り2005 頂~ |
Hero 2006.01.24 |
小川直也 vs 吉田秀彦の世紀の一戦。2005年のPRIDEを締めくくる試合が終わってから、もう数週間が経過した。今回の試合前には、いったい何を感じて、どんなことを思うんだろうかとコラムを書くにあたってワクワクしていたのだ。
私事だが2005年はプライベートも仕事もいろいろな変化があり、めまぐるしく過ぎ去っていった1年であった。そんな中でも格闘技を見ることは欠かさなかったのだが、コラムを書くためにキーボードをたたくことは1回もなかったのだ。そんな私でもこの一戦の決定を耳にした時は、「これは書かなければ」と純粋に思えてしまうほどの衝撃だった。ただ、それは世間一般的なこの試合のキーワードである「世紀のケンカマッチ」や「修復不能な確執」から感じるものではなかった。むしろそういったキーワードに多少の違和感を覚えたのも事実だったのだ。この二人の対決の意味を考えると「?」だったのである。
「柔よく剛を制す」
嘉納治五郎氏の言葉だが、現代の柔道ではこの言葉を具現化した試合を見る機会はほとんどない。無差別級で行われる全日本柔道選手権は、「柔よく剛を制す」を目にする可能性がある数少ない大会ではあるが、やはりこの大会を制するのは100キロ超級クラスで活躍する選手なのは言うまでも無い。ただ、94年の全日本柔道選手権では「柔よく剛を制す」が実現された。ご存知のとおり、吉田が小川を判定で下したわけだが、バルセロナで金メダルを獲得し、すでにヒーローとなっていた吉田に対して、確実といわれた金メダルを逃し、悪びれる様子もなく日本中のヒールとなっていた小川。試合は終始攻めの姿勢を崩さなかった吉田が判定勝ち。特に決め手があったわけではなかったが、吉田が勝ったことでさらにヒーロー、ヒールの立場がはっきりしてしまったのである。ただ、当時のルールでは旗判定があり、いわゆるマストジャッジシステムだったのだ。現在のルールであれば延長になっているはずで、そうなれば体格差で勝る小川がおそらく勝利を収めていただろう。
嘉納治五郎氏の言葉だが、現代の柔道ではこの言葉を具現化した試合を見る機会はほとんどない。無差別級で行われる全日本柔道選手権は、「柔よく剛を制す」を目にする可能性がある数少ない大会ではあるが、やはりこの大会を制するのは100キロ超級クラスで活躍する選手なのは言うまでも無い。ただ、94年の全日本柔道選手権では「柔よく剛を制す」が実現された。ご存知のとおり、吉田が小川を判定で下したわけだが、バルセロナで金メダルを獲得し、すでにヒーローとなっていた吉田に対して、確実といわれた金メダルを逃し、悪びれる様子もなく日本中のヒールとなっていた小川。試合は終始攻めの姿勢を崩さなかった吉田が判定勝ち。特に決め手があったわけではなかったが、吉田が勝ったことでさらにヒーロー、ヒールの立場がはっきりしてしまったのである。ただ、当時のルールでは旗判定があり、いわゆるマストジャッジシステムだったのだ。現在のルールであれば延長になっているはずで、そうなれば体格差で勝る小川がおそらく勝利を収めていただろう。
それまで大会5連覇を成し遂げていた小川にとって、この負けは悪夢であっただろう。その後、小川はプロレスの道へ。吉田は明治大学柔道部の監督となったのだが、その二人がPRIDEのリングの上で交わることになるとは、だれが想像しただろうか。ありえないカードだと思ったし、とくに見てみたいと思ったこともなかった。それは、マスコミがあおりたてる確執のためではない。もう完全に別の道を歩んでいると思っていたからだ。おかげで試合決定の一報を聞いたとき、私の頭の中は完全にクエスチョンマークだらけとなったのである。
執拗にマスコミは両者間の修復不能といわれる確執を取り上げていたのだが、彼らが交わりあっていたのは10年近くも昔の話だ。人間とは、時が経てば大抵のことは忘れる。忘れるまではいかないにしろ、熱は冷める。そういうものだ。小川はプロレスラーとして、吉田は総合格闘家として確固たる地位を築いている。そういうことから元柔道王対決というよりも、純粋にプロレスラー小川 vs 総合格闘家吉田という視点でしか試合をみることが出来なかった。小川はプロレス復興のために、吉田は憎しみよりもただ純粋に勝利を欲する気持ちが、試合に対するモチベーションを築いていたのではないかと思うのだ。
さて肝心の試合だが、あっけなく終わった。吉田は柔道では存在しない足関節で小川の足をへし折り、勝利を納めた。そのとき、吉田は柔道衣を脱いでいた。後輩である滝本の試合を見て、柔道衣を脱ぐことを決意したらしいが、もう吉田は勝利のためであれば道衣をためらいなく脱ぐことができるのだ。彼は総合格闘家なのだ。
もはや総合格闘技はプロレスと二足のわらじで勝てるものではない。総合の準備を常にしている吉田に対して、プロレスでエンターテイメントを追求し続けている小川では、いくら直前に準備をしようとも勝てるものではない。それは、ヒョードルにあっけなく敗れ去ったときに証明されていたことだ。
小川は試合直後、すぐにマイクを握った。
「吉田ぁ、これからがんばれよ」
本心だと思う。確執などすでに水に流れていたんだと私の思いはこのとき確信に変わった。少し安心した気持ちにすらなった。マイクパフォーマンスが若干長すぎたのは、小川の空気を読めない不器用さがよく出ていて苦笑ものだったが、それも愛嬌。年の瀬だ、水に流そう。
「吉田ぁ、これからがんばれよ」
本心だと思う。確執などすでに水に流れていたんだと私の思いはこのとき確信に変わった。少し安心した気持ちにすらなった。マイクパフォーマンスが若干長すぎたのは、小川の空気を読めない不器用さがよく出ていて苦笑ものだったが、それも愛嬌。年の瀬だ、水に流そう。
こうして、2005年のPRIDEは幕を閉じた。
ただ、困ったことがある。試合が終わって数日たっても、私の書きたい言葉が見つからないのだ。今までであれば、試合の内容について感じることがあるはずなのに、なかなか言葉が出てこない。どれだけ考えても出てこない。これまでコラム執筆をサボり続けてきたので、もともとなかった文才がさらにサビ付いたのだろうかとも思ったのだが、あの試合からなにかを感じることができなかったのだから、言葉が見つからないのは仕方ないのだ。数週間が経過してだんだん思ってきたことは、あの試合はDSEにいっぱい食わされたのではないか?ということだ。試合の本質よりも、試合のバックグラウンドを作り上げて世間の興味を惹きつけるという興行主としての常套手段を、実績も人気もある選手を使うことで意味のあるものに仕立て上げられたということでは?と。
あの試合がおもしろかったと思った人はそれでいいと思うし、おもしろくなかったと思う人は、「DSEにいっぱい食わされた」と思うことにすれば、いろいろ考える必要はないのだ。ずっとキツネにつままれたような感覚は、このせいだったのだ。私のこの試合の総括は、そんな感じである。
2006年はもっと「感じる」試合を見たいし、そんな選手に期待したい。そして、純粋に感じたことを文章にできればと思う。
試合の結果はコチラ
総合格闘技向上委員会ver.19.0 TV放送では観られない観戦記 ~051231_Dynamite!!~ |
marc_nas 2006.01.14 |
2005年12月31日に大阪ドームにて開催された"K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!"を取材してきました。過去最高の長文ですが、テレビ放送では観ることの出来なかった試合のレポートなど書いています。是非、ご一読ください。stand様にも、同様のコラムを掲載させて頂いております。
よくPRIDEとK-1を比較する人がいるが、成り立ちも競技性も違うのだから、二つのみを比較対象として見ることは間違っている。しかし、こと大晦日の男祭りとDyanamite!!となれば、話は別である。同日開催であり、放送時間も重なるのだから、観客動員はもちろん、テレビ視聴率、マッチメイク、試合の見せ方など比較してみると面白い。そして、お互いにとってもぶつかり合うことで、意識し、競い合い、相乗効果を生むことになるはずである。一昔前までは選手のブッキングなど、双方がイメージダウンに繋がるマイナス効果を生み出してはいたけれど。
音楽で例えると、谷川政権に変わってからのK-1はDynamite!!も含め、ヒットチャートを賑わすソフトを多く抱える大手レーベルに似ている。年末には、レーベル所属のヒップホップからJ-POPアーティストまで、様々な客層をターゲットとしたオールジャンルのコンピレーションアルバムが発表されるのである。そのオールジャンルはのアルバムは、ジャンルを問わないが故に、時にコンセプトを失ったおもちゃ箱的な危険も孕んでしまう。
一方、PRIDEはというと、テクノならテクノのワンジャンルに絞り、世界中から名だたるアーティストを集め、敏腕プロデューサーがレーベルの色をアーティスト達に吹き込む。その結果、テクノ界のコアなファンから、J-POPが好きだった人もテクノへのイントロダクションとして楽しむなど、それぞれを魅了し、一つのジャンルを確立した。年末発表のアルバムに限っては、同日発売の対抗馬の存在も意識しつつ、無党派層も取り込もうと、レーベル批判へと繋がるかも知れぬ爆弾アーティスト(金子賢)の参加も試みた。
まるで、大晦日の「NHK紅白歌合戦」と、テレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」のように語ってしまったが、すなわち、Dynamite!!と男祭りはそれぞれ違ったカラーを打ちだし、大晦日にお茶の間にてザッピングされたのだ。私達がお茶の間ではなく大阪ドームにて体感してきたDynamite!!のレポートをここに。
会場に入る際に渡されたパンフレットには、一枚刷りの紙が挟まれていた。そこには、男祭りと牽制し合い当日発表となった試合順が書かれた。豪華面子の大トリに据えられたのは、TV放送と同じく須藤元気 vs. 山本“KID”徳郁戦。清原和博選手の開幕宣言で一気に爆発した大阪ドームに、K-1のお家芸である炎の演出により会場のヴォルテージは一気に加速する。開会宣言後の全選手紹介では、ボビー・オロゴン、魔裟斗らを凌ぎ、須藤、KIDへの声援は異常な程大きいモノであった。
そんなヴォルテージの中、始まったピーター・アーツ×大山峻護戦はあっという間の秒殺決着で、意外にも会場は盛り上がらず。「あっ!アーツ、タップしちゃった」といった感じで、会場は戸惑い気味。少し怪しい雲行きのスタートとなった。
第2試合のジェロム・レ・バンナ×アラン・カラエフ戦は、1Rこそ大味なグラウンドの攻防となったが、2Rできっちりバンナが極め、なんとか会場も盛り返す。試合後、控え室から担架で運ばれるカラエフがなんとも無惨であった。
第3試合は問題の中尾芳広×ヒース・ヒーリング戦。試合開始前の両者が睨み合うシーンは、もう見慣れた風景。そこで、挑発の意味の中尾のキスにより、ヒーリングが怒り、パンチを放ったのだ。そのパンチはミッキー・ロークばりの猫パンチだったのだが、中尾がノビてしまった。これは、個人的見解だが、リングに上がし者、上がった瞬間から闘いは始まっているのではないか。臨戦態勢の相手に、睨み合ったりキスしたりするなら、ポーズではなく覚悟を持って行わなければ。刃は向き合ってなくとも、互いに腰に据えた刀に手は掛けてあるのだから。数試合経過後、マイクでヒーリングの反則負けが宣告されたが、どうも腑に落ちなかった。
そして、不穏な空気が流れる中、期待の永田克彦×レミギウス・モリカビュチス戦。試合前半は永田のテイクダウンが決まる度、盛り上がっていた会場だが、その後の展開が見えないのに気付くと徐々にトーンダウン。トイレに立つ人の姿も目立つ。「所詮アマチュア上がり」との声が聞こえてきそうだが、永田のポテンシャルにはやはり今後期待したいと感じた。
お祭りのはずが、お祭りの割にはというべきか、盛り上がりに欠ける中、レミー・ボンヤスキー×ザ・プレデター戦スタート。ZERO-ONE時代と変わらぬサービス精神で、入場時にチェーンを携えるプレデターになんとも好感を憶える。試合後の囲み会見でもチェーンを携えるあたりに、ハートをキャッチされてしまった。試合でも見事な負けっぷりで会場を沸かせてくれるのかと思いきや、全盛期のサップを思わせる猪突猛進ファイトで想定範囲外の善戦。スプリット・デシジョンでレミーの勝利が告げられた瞬間、会場にはブーイングさえ起こった。大会終了後の、谷川Pの総括でも「僕はプレデターでよかったんじゃないかなぁ」と。なんとも残尿感の残る結果となった。
ダルダル感の漂う空気を払拭してくれたのは、武蔵だった。試合後の「何かが起こると覚悟していて、構えてた部分もあった」との言葉通り、ボブ・サップの後頭部パンチによる5分間の中断。それを、3分間でいいとの武蔵の申し出に会場は沸く。再開後にダウンを取られるも、その後の怒声をあげながらの感情の籠もった猛打に会場がまた大いに沸いた。ただ、少し感じたのが、武蔵は昔から相手に背を向けるシーンをよく目にする。ルールに守られており、後頭部への打撃は反則なのは分かっているが、石井館長がいれば、叱咤したに違いない。
魔裟斗×大東旭戦は、テレビ放送の通り、魔裟斗の横綱相撲。魔裟斗の試合前のVTRや会見での発言からも王者の誇り、MAXを背負う責任感などプロ意識の高さを感じた。それは、武士道においての五味のスタンスに類似しているなと思った。開始直後に放ったローキックが、骨折あけの左足によるものであったことが、またそれを物語っていた。
セーム・シュルト×アーネスト・ホースト戦は、試合後の両者のコメントが気になった。シュルトの「ホーストはワンマッチだけでなく、今後、戦うこと自体を考え直した方がいいのではないか」と言い放ち、それを記者がホーストの会見時に伝えると「続けるかどうかはシュルトではなく、私が決めることだ。今回は負けたと思っていない。たまたまヒザをもらって、ケガになってしまい終わっただけ。シュルトが何かを言うべきではない」と。ミルコとシカティックが如く、同郷同士の確執なのか、なんとも険悪な雰囲気を感じてしまった。確執ではなく、いいライバル心に転化すればいいのだが。
この試合後、休憩。休憩明けに矢沢永吉氏が登場。会場には、おおよそ格闘技会場では目にしない矢沢信者と思しき人達が沢山いた。試合中も、試合を観るでもなく、通路やトイレで何度も目にした。リングインの際は、ライヴでお決まりの掛け声なのか声を荒げ、一般客の心中は定かではないが、会場は暖かく迎え入れていた。お祭りムードにも一層、拍車がかかった。
そして更に、ボビー・オロゴンの入場で会場のヴォルテージはマックスに達する。二選手の一挙手一投足に、観客も一喜一憂する。それだけに、マウントを取り動かない曙に野次が飛ぶが、それもまたヒートアップの証拠。色物と言われ、他の試合とは色合いは違えど、会場を盛り上げると言うベクトルに関しては同方向。誰かが言っていたが、曙が負けるのを見て、大晦日を感じると。曙(夜明け方)から、年が明け正月を迎える。これもまた、格闘技界の大晦日の風情となるのだろうか。
そして、セミのホイス・グレイシー×所英男戦は今回の私的ベストバウト。所は試合後、反省しきりだったが、難攻不落のホイス相手にいつもと変わらぬ目まぐるしい攻防を繰り広げ、コアなファンならずとも興奮を憶えたはず。所の勢いはstayどころか、更にstand out、これからの躍進にまた大きく心が膨らんだ。逆に、巧さを感じるも、ホイス時代は終演を迎えつつあるのではないか。打倒グレイシーを掲げてきた日本格闘界は、既にグレイシーを美味しい餌とまで思えるようになっている。そして、ヒクソンやヘンゾ兄弟の世代はもう"済み"で、ホジャーら次世代グレイシーのこそ"未"で倒すべき相手だと感じた。
そして、大トリは須藤×KID戦。キッチリ極めて、気持ちよく年を越させて欲しいとの念が、両選手、そしてレフェリーにまで伝達したのか。少しストップが早いのではないかとの声もあったが、須藤の目が一瞬飛んでいたようにも見えるし、妥当なレフェリングではないだろうか。HERO'Sスーパーヴァイザー:前田日明氏に、「仲間内での練習環境を変えろ」と助言されたKIDと、「相手のバランスが崩れるのを待つ"釣り"戦法も行き過ぎるといかがなものか」と苦言を呈された須藤。そんな両選手とも、この大舞台で最高のパフォーマンスを見せ、観客も前田氏も満足だったのでないだろうか。前日の会見で「前回の2試合(ホイラー戦・宇野戦)が自分にとっての決勝だと思っているので、今回は簡単にベルトが巻けると思う」との挑発めいた発言をしていたKIDも、試合後に須藤に駆け寄り「よくやった」と勝者の余裕か、労いの言葉を掛けていたのもまた、KIDらしい「試合後はノーサイド」の心地よい光景だった。須藤が試合後「悔しさを受け入れて、次へ。ここでしゃがんで、ジャンプするように」と言っていたが、助走が長い方が高く飛べると信じたいし、そう願いたい。7月・9月と続いたミドル級トーナメントを締めくくる意味でも、一年を締めくくる意味でも素晴らしい二人の闘いであった。