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総合格闘技向上委員会ver.12.0 リアル遺恨清算マッチ ~050527_K-1@パリ~ |
marc_nas 2005.05.29 |
K-1 World GP パリ大会をテレビ観戦。K-1<MMA派の私だが、バンナ×アビディが組まれた今回だけは見逃すわけにはいかなかった。
もうワークとは言わせない
まず、角田信朗×マーベリックについて。KO勝利が決まった瞬間、またバカな輩がワークだと声高に叫ぶのではないかと憂慮した。前回のv.s.曙戦で、戦前オヤジの復帰戦と謳われながら、戦後曙に勝利を捧げるための試合と揶揄されてしまった角田。今回のマーベリックはMMAの選手で打撃技術の低さは否めないが、素直に勝利を称えたい。最近、色々と関係者からワークの実態を聞いたが、やはり現在の格闘技界にワーク:八百長はないと信じたいと思うし、ないと信じている。
リアル遺恨清算マッチ
ジェロム・レ・バンナ×シリル・アビディについて。このカードが発表された瞬間、興奮よりも懸念の気持ちが先行した。プロレスライクな遺恨マッチではあるが、リアルな感情のもつれのある両者。本当にK-1の試合として成立するのか、と。
試合序盤、K-1トップファイターの両雄とは思えないほど、テクニック無視のインファイトでの殴り合い、感情と感情のぶつかり合いだった。熱く燃えるアビディ、奥底で冷たく燃えるバンナ。徐々にバンナの的確なパンチがアビディを捉えていった。危ないシーンをことごとく、回避したアビディ。アビディに屈せざる心を見、バンナには詰め(気持ち?)の弱さを垣間見たような気がした。序盤、何度もバッティングがあったが、それでも私の懸念は杞人の憂いであった。両雄とも死力を尽くしての、見事なキックボクシングの試合であった。試合後に元アビディのトレーナでバンナに引き抜かれたラバディトレーナが、先にアビディの汗をタオルで拭ったのが印象的であった。
試合の結果はコチラ
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総合格闘技向上委員会ver.11.0 屈折した光 ~041014_武士道5~ |
marc_nas 2004.10.29 |
2004年10月14日 PRIDE武士道其の伍@大阪城ホールを観戦し、気になった試合をいくつかピックアップして私なりの見解を述べたいと思う。その前に、大会全体の印象としては、前回「ver.8.0 何処へ行く武士道 ~040719_武士道4~」で述べた「軽量級や日本人選手の発掘・日本対世界とう元来のコンセプトをより打ち出し、PRIDEナンバーシリーズとの明確な差別化を切に願う」という願望が叶った形となった。ヴァンダレイやミルコに頼る今までのPRIDEセカンドラインとは異なり、K-1JAPAN+MAXのような意義のあるPRIDEアナザーラインなったのではないだろうか。
屈折した光
●今成正和 (日本/チームROKEN)
○ルイス・ブスカペ(ブラジル/ブラジリアン・トップチーム)
判定0-3
○ルイス・ブスカペ(ブラジル/ブラジリアン・トップチーム)
判定0-3
今成正和が放つ光は、他の選手のそれとは全く異質である。パウンド全盛の現在の総合格闘技のリングにおいて、足関節に挑み続けるその姿は私たち観客にとってはとてもエキサイティングである。と同時に、演者にとってはとてもハイリスクである。
しかし、今回のPRIDEのリングでも、今まで同様、肉を切らせて骨を断つ精神でアグレッシブに足関節にトライし続けたが、ルイス・ブスカペはよく研究し、警戒し、最後まで極めさせなかった。残念ながら、今回は今成の屈折した七色に輝く光は、見事ブスカペという壁に閉ざされてしまった。けれど、初見の観客達もその異彩の光の断片は垣間みる事が出来たのではないだろうか。
リアルプロレス
○美濃輪育久(日本/フリー)
●上山龍紀(日本/U-FILE CAMP.com)
判定2-1
●上山龍紀(日本/U-FILE CAMP.com)
判定2-1
リアルファイトの対極に位置するのはプロレスじゃない。自分の提唱するリアルプロレス。そう、リアルかつプロフェッショルなレスリングだ!と前回の試合で美濃輪育久は高らかに叫んだ。今回の試合では鳴りを潜め、判定勝利後もマイクパフォーマンスなしに、田村潔司を無言で指さすに留まった。田村への挑戦はもうワンステップ必要ではないかと感じられた。
リアル武士道精神
○長南亮(日本/フリー)
●カーロス・ニュートン(カナダ/ウォリアー・マーシャルアーツ・センター)
判定3-0
●カーロス・ニュートン(カナダ/ウォリアー・マーシャルアーツ・センター)
判定3-0
今回のベストバウトは間違いなく長南亮vsカーロス・ニュートン。道場のケンカ番長最強説が唱えられる時代などとうに過ぎ去り、相手を研究し、技術の攻防のスポーツと化した総合格闘技。そのリングにおいて、長南は山本KID同様、殺伐としたケンカスピリッツを感じることができる数少ない選手。サインに「殺」という一文字を書いたり、マウスピースに「KILL」という文字を刻んでいることからも感じ取ることができる。
長南が試合前の会見で「前回(ヒカルド・アルメイダ戦)、自分は負けました。二度も続けて負けるような選手は、もういりません。」と自分の進退までも匂わせた。自分を鼓舞させるためや、ファンへの虚飾のメッセージではないのではないか。ハラキリ精神、負け=死という武士道精神を持って試合に臨んでいるのだと思った。
また試合後のマイクでも「僕はファイターで、喋りに来たわけじゃありません。ありがとうございます。皆さんのおかげで勝ちました」と。自分は闘いによってのみファンを魅せるといった強い心の表れではないだろうか。また彼に強い武士道精神を感じた。
リスペクト
○五味隆典(日本/木口道場レスリング教室)
●チャールズ・“クレイジーホース”・ベネット(アメリカ/フリー)
1R 5'52" アームロック
●チャールズ・“クレイジーホース”・ベネット(アメリカ/フリー)
1R 5'52" アームロック
試合中、隣の若者が「クロ!帰れ!」と大声で叫んだ。そして「Black Go Home!」と続けた。長くプロレスや総合格闘技を観戦してき、観客のヤジで不快感を憶えたことは多々あるが、こういった人種差別的発言が聞かれたのは初めてだった。おそらく修斗やパンクラスのリングではこういった言葉は聞かれなかっただろう。PRIDEという大きな舞台で様々な観客が集まるからなのかも知れない。しかし、これは許されない行為である。最低だ。注目していると彼は五味隆典グルーピーだった。しかし、彼のような一部のファンのそのような行為により五味ファンや大阪のファン全体が下品であるように認識されてしまうではないか。
私が「総合格闘技向上委員会」とタイトルしたのは、格闘技ファンの裾野の拡大を目的とし、つまりは、ファンの格闘技を観る目を養ってもらうことこそが、格闘技そのものの向上に繋がるのではないかという思いを込めたのだ。そんな心ないファンがいる限り、大袈裟かも知れないが、格闘技の向上の妨げにもなりかねない。選手も対戦相手にリスペクトを持って戦っているのだから、我々ファンもまた贔屓の選手の憎き対戦相手であってもリスペクトを持って応援してほしい。
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総合格闘技向上委員会ver.10.0 哀しきパイオニア 〜山本美憂物語〜 |
marc_nas 2004.10.01 |
「Hero's eye 〜アテネオリンピック編〜」に触発され格信犯ブログで書いた山本美憂についてのコラムを加筆・修正したものをお届けします。
2004年8月23日の日記より
女子レスリング生中継番組で解説していた山本美憂は全階級メダル獲得に「みんなよくやってくれました。ほんとにありがとう」と泣いた。自らの悲願である五輪出場の夢を奪った彼女たちに対して。
エンセン井上の妻にして山本KID徳郁、山本聖子の姉。ミュンヘン五輪に出場した父:郁栄からミュンヘンに因んで美憂(みゆう)と名付けられ、父のもと指導のもと、91年に17歳で世界選手権を制し、その後も各大会の優勝を総ナメする。その後、彼女は三度の引退を経験する。
そして三度目の引退から2年、アテネ五輪での女子レスリング正式種目化が決定し、悲願である五輪出場の夢を叶えるために2002年秋復帰。しかし、2004年2月の五輪代表選考大会であるクィーンズカップで惜しくも3位に終わり、結局、五輪出場の夢叶わぬまま4度目にして本当に最後の引退をしてしまった。
もし彼女が後10年産まれるのが遅ければ、もし女子レスの五輪正式種目化がもっと早ければ。。。と考えてはいけないのかも知れないが、どうしてもそんな事を考えてしまう。
女子レスリング界の五輪までの道を耕し、皆を導きながら、自らはとうとう五輪出場という夢を果たすことなく、最後には引導を渡される形で退いた彼女。山本美憂こそ女子レスリング界の牽引者であり、メダルラッシュの真の功労者ではなかろうか。そんなことを考えながらふと確信した。
彼女のTV中継で流した涙は自身の悔しさからくる涙ではなく、共に戦い五輪へと導いた仲間達への感謝の涙だと。
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総合格闘技向上委員会ver.9.0 親孝行者 〜山本聖子物語〜 |
marc_nas 2004.09.24 |
「Hero's eye 〜アテネオリンピック編〜」に触発され格信犯ブログで書いた山本聖子についてのコラムを加筆・修正したものをお届けします。
2004年8月22日の日記より
2004年8月22日。この日、世界は五輪女子レスリング予選で盛り上がる中、山本聖子は24歳の誕生日を迎えた。その場所はアテネの代表のマットの上ではなく。
ミュンヘン五輪に出場した父:郁栄から五輪の聖火に因んで名付けられた聖子。五輪という檜舞台に立つことなく、幕を引いた姉:美憂。そんな美憂のエスペランサであった聖子もまた今回、五輪出場を逃してしまった。
2003年9月の世界選手権で59kg級として出場した聖子は優勝したにも関わらず「自分の階級じゃないので悔しい」と言った。本来55kg級であった聖子は吉田沙保里に55kg級代表の座を奪われ、アテネ五輪では実施されない59kg級への階級変更を協会より通告されたのであった。その翌年の2月の五輪最終選考会:クイーンズカップで、本来の55kgに戻し再び吉田沙保里に挑み、そして敗れ、五輪出場の夢は破れた。
勝った吉田は会見で「死ぬ気で戦いました。五輪代表になれなかった父の分までがんばろうって思ってたから」と言った。
一方、敗れた聖子は「父をもう一度、五輪に連れて行ってあげたかった。私は親不孝者です」と涙を流した。そして「(吉田)沙保里は自分のレスリングと人間の幅を広げてくれた存在。金メダルをとってきてほしい」とライバルにエールを送った。
一方、敗れた聖子は「父をもう一度、五輪に連れて行ってあげたかった。私は親不孝者です」と涙を流した。そして「(吉田)沙保里は自分のレスリングと人間の幅を広げてくれた存在。金メダルをとってきてほしい」とライバルにエールを送った。
約束を守り吉田はアテネで金を獲った。おそらく聖子が吉田の代わりに出場していても間違いなく金を獲っただろう。しかし五輪が48、55、63、72kg級の4階級のみで実施され続ける以上、これからも実質、金メダル決定戦と言われる国内代表選考会で吉田から代表の座を勝ち獲るほかない。二度と親不孝者とならないために。
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総合格闘技向上委員会ver.8.0 何処へ行く武士道 ~040719_武士道4~ |
marc_nas 2004.07.24 |
今大会を一言で表すと「疲れた」、そんな大会だった。挑戦試合を含め計11試合、4時間半にも及ぶ長時間興行という理由だけではない。ましてや大阪ー名古屋間の移動の疲れなどでもない。スプリット判定の試合が4試合、時間切れドローが1試合。その判定試合の内容に起因するのである。今回はあえて判定試合にスポットを当てて今大会を振り返ってみたいと思う。
まず、三島☆ド根性ノ助×マーカス・アウレリロ戦について。この試合は見応え十分の軽量級ならではのスピーディかつハイレベルなグラウンドの攻防が繰り広げられた。三角締めやアームバーなどの下から極める関節技を多用し、ZST GPを制したアウレリロだったが、パウンドルールありのPRIDEでどういった戦い方をするのか?対する三島は柔道仕込みの投げで常に上のポジションをキープできる能力を持っている。案の定、アウレリロが下から何度も関節を仕掛けるが、上から三島が的確なパンチや踏みつけキックで関節を凌ぐという展開となった。これは、これからPRIDEに参戦してほしいZSTファイターの所・小谷両選手にとって、かなり参考になったのではないか。
続いて、アマール・スロエフ×ディーン・リスター戦について。本来の武士道シリーズのコンセプトは「軽量級の選手と日本人選手の発掘」であるはず。なぜこのマッチメイクが武士道でなされたのか疑問だった。両選手共に実績も実力もある好選手である。高田統括本部長は大会前に「メンバーがそろっているのに選手が光らない」と懸念していたが、皮肉にもこの試合はそれが顕著に現れ、全く噛み合わなかった。また高田本部長は「攻めない選手には三くだり半を突きつける」とまで宣告していたにも関わらず、両選手とも有効打が与えられず、決定機もない試合となってしまった。以前、私のコラムで「ver.3.0 PRIDEのマストシステムの脆弱性」については書いたが、中盤でボールを回すだけのシュートのない試合に判定は不要だと思う。マッチメイク・試合内容・判定の必要性、すべてにおいて不服だらけある。
最後に、小路晃×パウロ・フィリオ、中村和裕×アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ戦について。この二試合は言及したいことが同内容である。寝技(柔道・柔術)をバックボーンに持つ選手が互いに自分の土俵ではなく相手の不得意な分野であるスタンドでの勝負を挑み続けた。私自身がグラウンドの攻防を好むせいもあるが、非常につまらなく感じた。K-1の試合と比べるとやはり技術的には劣るであろう。そしてまた、殺るか殺られるかといった激しい試合でもなかった。そんな試合を2試合も勝負つかぬままフルラウンドというのは見るに堪えられなかった。互いに寝技で極める技術を持ちながら寝技勝負を挑まなかったのは、「相手に極められる可能性もある」、「負けたくない」という心の現れか。我々は、少なくとも私は、負けない試合より勝ちにいく試合が見たいのだ。
高田統括本部長は今大会を「武士道シリーズの存続を左右する重要な大会になる」「メンバーがそろっているのに選手が光らない」「判定試合が多いので、攻めない選手には三くだり半を突きつける」といっていた。しかし思いとは裏腹にこういった試合が多かったのは事実である。また、五味・マッハ・三島・アウレリロという軽量級の選手達が好試合をしたというのも紛れもない事実である。この事実を真摯に受け止め、もともとのコンセプトである「軽量級の選手・日本人選手の発掘・日本対世界」を思い出して欲しい。そしてまたPRIDEナンバーシリーズとの明確な差別化を切に願う。