![]() |
総合格闘技向上委員会ver.3.0 PRIDEのマストシステムの脆弱性 |
marc_nas 2004.03.26 |
2001年3月25日。PRIDE.13@さいたまスーパーアリーナにてPRIDEの英雄:桜庭和志が頭部へのヒザ蹴りでヴァンダレイ・シウバに衝撃的敗北を喫した。この勝負の命運を分けたといわれる今大会からのルール変更、グラウンドでの四点ポジション(四つんばい状態)の相手への頭部への蹴りの解禁。これはPRIDE戦士達にとってこれからの戦法を大きく変更しなかればならないものとなった。これまでグラウンド状態で上になった選手がパウンドしていたのが、先に立ち上がって顔面に蹴りを食らわすことが可能となったのである。これはまるでケンカであり、当時スポーツ化に向けて大きく躍進していた総合格闘技界に大きな波紋を呼び、大きな物議を醸した。
今大会のルール変更でもう一つ革新的だったのが「マストシステム」の導入である。マストシステムとは試合終了時の判定で引き分けなしの、必ずジャッジが優劣をつけなければならないというものだ。これは頭部へのキック解禁と同様、いやそれ以上に物議を醸さなければならない大問題であると思うのだ。トーナメントなどで勝者を決定することが必然となる場合はマストシステムはいたしかたない。しかしそれ以外のワンマッチで勝者を必ず決定する必要性が果たしてあるのか?
わかりやすく他のスポーツで例えると、サッカーでは0-0では引き分けである。それについて判定で勝者を決めることはない。かといってPRIDEでも一本極まらなければ引き分けにしろというわけではない。どちらのチームにもシュートがなく中盤でボールを回しただけで終わった試合には判定は不必要であると言いたいのだ。すなわち双方にダメージまたは決定機がない試合に優劣をつけなくてよいのだ。更にいうと、Aチームはファンタスティックなパスやシュートを繰り返し、Bチームは伝統的なカウンター攻撃を仕掛けたが0-0の引き分けで終わった試合があったとしよう。PRIDEに言い換えると、一方は見たこともないような関節技を何度か繰り出し、一方は基本的な関節技を何度も仕掛ける。優劣をつけ難い同等の状態で、これを3人のジャッジで判定し2-1でAの勝利となったとしよう。これは全くのジャッジの主観で、好みの問題になってしまう可能性はないだろうか?ジャッジにはレスリング畑出身もいれば、キックボクシング畑出身の人間もいる。好みもあるだろう。こういった場合に「マスト」システムの脆弱性を感じるのは僕だけだろうか?
過去Jリーグでサドンデス(のちにゴールデンゴール)方式が世界のプロリーグでは異例の採用となった。PRIDEのマストシステムも現在世界の総合格闘技史上では異例のルールである。それを考えると日本人はどうも白黒をハッキリ決めたがるのか?ちなみにサドンデス方式は何年後かに廃止、変更され今の形となった。マストシステムもまた変更されるべきである。Must-system must change another system!!
![]() |
総合格闘技向上委員会ver.2.0 総合格闘技の歴史(後編) |
marc_nas 2004.03.09 |
ホイス・グレイシーが第一回UFCで圧倒的な力の差を見せつけ優勝した際に「グレイシー柔術は最強です。そして僕の兄ヒクソンは10倍強い」と言い放った。その言葉にすぐさま反応したのが初代タイガーマスクこと佐山聡と船木誠勝だった。
佐山は当時修斗を主宰しており、すぐに兄ヒクソン・グレイシーを招聘し「バーリ・トゥード・ジャパン94」なる大会を開催した。結果は慧舟会代表西良典、バド・スミスなどを下しヒクソンの優勝。続いて招聘した「バーリ・トゥード・ジャパン95」でも当時リングスの若手山本宜久(現高田道場)、当時SAWの木村浩一郎(現WJ労働組合)、当時修斗の中井祐樹(現パレストラ代表)を下し、またもや圧倒的優勝。
一方、船木は第一回UFCでホイスに敗れたケン・シャムロックと当時パンクラスで覇権争いをしていた。その船木もシャムロックと手を組みホイス対策を練り、第四回UFCでシャムロックのホイスとのリベンジでセコンドについた。結果は。。。30分時間切れドロー。ずっとグラウンドで膠着したまま極めさせず、当時ブレイクのなかったUFCのルールではドローとなったのだ。これは当時最強のホイスから奪った殊勲のドローとなった。その後、船木は引退試合として「コロシアム2000」で兄ヒクソンと戦うのだが、チョークスリーパーでオトされたのは運命的とでもいうべきか。
遅れて反応した高田信彦率いるUインターは懐刀の安生洋二(現WJ労働組合)をヒクソンの道場破りに送り込む。が、結果は。。。道場から出てきた安生の顔はボコボコになっており、その顔は週刊プロレスや週刊ゴングなどの表紙を飾り大きな波紋を呼んだ。その死合のVTRは関係者のみで見られヒクソンの強さを改めて認識したという。余談だが、NTV系の電波少年で松村邦洋もヒクソンの道場破りに向かったが、当のヒクソンは不在で息子の故ホクソン君(当時小学生)に本気でボコボコにされていた。この一件を見ても安生ボコボコ事件の波紋の大きさがわかるのではないだろうか。(そう考えるとWJの労働組合にはヒクソンと対戦した人間が二人もいたのか。)
時は流れ現在の総合格闘技はというと。。。極めの強い選手が勝ちを重ねることが難しくなってきた。現在総合格闘技界を席巻しているのはパウンドを得意とする選手達、パウンダーである。
pound【動詞】強く続けざまに打つ、突き砕く、粉砕する
つまりグラウンド状態における上からの打撃のこと。
パウンダー全盛になりつつあるのには理由がいくつかある。大きな理由の一つは関節技が研究され防御策が確立されてしまったこと。すなわちグラウンドでは、仕掛ける度に体力を消耗する関節技を何度もトライするより、打てば打つほどダメージを蓄積させることが出来るパウンドの方がより効率的となったのである。
他の要因としてはUFCなどの金網マッチでは、テイクダウンから金網に押しつけてパウンドされると逃れるのが非常に困難なのである。一方PRIDEでの要因はというと、マストシステム(ドロー裁定なしの優劣を必ずつけねばならないシステム)が大きく関係してくるのはないかと思える。マストシステムの問題点についてはいつか語るとして。。。判定になると関節技を受けた選手よりパウンドの打撃を受けた選手の方がダメージが大きくなる可能性の方が高く、判定では有利になってしまうのである。
昨今のパウンド全盛時代をボクは好ましく思わない。それは単純に極めの強い選手が好きだからだ。判定で殴り勝ちより、関節で『一本』を極める方が見てる方にも楽しく気持ちいい。サブミッションアーティストにはこれから受難の時代が続くかも知れないが、是非アントニオ・ホドリコ・ノゲイラや今成正和のような選手達にパウンダーを関節技でpound【粉砕】してほしいものだ。
![]() |
総合格闘技向上委員会ver.1.0 総合格闘技の歴史(前編) |
marc_nas 2004.02.22 |
どうも活字格闘王ことmarc_nasです。ボクの連載のコンセプトは格闘技ファンの拡大であり、ファンのみなさんの格闘技に対する目を養ってもらう。それが格闘技そのものの向上に繋がると考えています。今回と次回で総合格闘技の歴史を初心者の方にもわかりやすくカンタンに振り返ります。これを読んで格闘技の奥深さを知ってもらえば、PRIDEなどを観る時により面白く観れると思います。
紀元前、古代ギリシャの哲学者プラトンがギリシア兵達が闘うパンクラチオンという格闘技を見て「不完全なレスリングと不完全なボクシングの合体である」と言った。
93年にUFCで始まった総合格闘技。ある者はレスリング、ある者はボクシングと己の信じる格闘技体型こそ最強であると互いにしのぎを削りあった。そんな中、優勝したのはレスラーでもなくボクサーでもなかった。グレイシー柔術なる格闘技を習得するホイス・グレイシーであった。
極めというのは、関節技やチョークスリーパで一本(タップ)を取ることである。すなわち、極めが強いというのは、一本取る能力に長けているという事である。
当時のホイスはグラウンドでの極めが強かった。というより、皆が回避・防御方法に対してあまりに無知だったのである。グレイシー柔術はボクシングやレスリングのようにオーバグラウンドではなく、アンダーグラウンド格闘技だった。グレイシー一族が独自に考え出した柔術であるため、親族以外に教えを請う事もなければ、親族以外に教授する事もなかったのだから、他の格闘家達が初遭遇の動きに戸惑い、対処できなかったのは当然だった。
最初は皆そのグレイシー柔術を打ち負かすべく、己の心酔する格闘技を研磨した。しかしホイスはその後、幾度も優勝を重ね、無敗のまま95年UFCのリングから遠ざかっていった。そこから他の格闘家達はプライドをかなぐり捨て、柔術を研究し、そして自らの格闘技体型に取り込んでさえいくのであった。
つづく。。。